上田 ヒサ子
- はじめに
- なぜ統一協会へ入ったのか?
- 1回目の保護と3年半の逃亡生活
- 2回目の保護と43日間の断食
- マインドコントロールからの開放
- イエスをメシアと信じる
- 家族に感謝
- 神の祝福
於:インターナショナル・バイブル・チャーチ
1.はじめに
はじめに おはようございます。
このように礼拝でお証させていただく恵みを心から感謝します。既に「みるとす」でご存知の方もいらっしゃると思いますが、統一協会からの脱会を通して現わしてくださった、神のみ業をお証させていただきます。 私たち夫婦は、今年で結婚生活32年目を迎えますが、その半数に近い14年間が統一協会との戦いの中にありました。
2. なぜ統一協会へ入ったのか?
誰でも心の中に悩みや心配事が絶えずあります。私の場合は、生い立ちと結婚にありました。 小学5年の春、叔父夫婦の養女になりました。ある程度納得して自分で決断したように記憶していますが、その生活には養母との確執があり、忍耐が必要でした。中でも悲しかったことは、心(感情)まで支配されたことです。和歌山のみかん農家の末っ子に生まれ、比較的明るい性格の子供でしたが、思春期の頃から徐々に徐々に暗くなり、口数も少なくなっていきました。
商売が忙しいこともあり、会話の全くない家庭でした。養母はいつも命令的で、従わなかったら叱られ、躾も厳しく教えられました。一方的な養母に逆らうことができず、布団にもぐってよく泣きました。叱られると自分が惨めで悲しくなるので、良い子になって両親に仕えました。
相談できる人もなく、結局自分で解決しなければなりませんでした。そして、受身で自己主張できない性格に替えられ、決してほめられた意味ではない平和主義者となりました。 結婚も、親の希望通りに主人を婿養子に迎え、同居生活がスタートしました。これがトラブルの始まりで、結婚前以上の精神的な重荷を負うことになりました。主人と両親、親同士の確執です。私にはどうすることもできず、板ばさみになって苦しみました。前よりもっと強く何かに助けを求め始めていました。それから1年後、両親と別居し、主人は会社を辞めて、現在の靴下の商売を始めました。その5年後に統一協会との運命の出会いがありました。 霊感商法で印鑑や壷を訪問販売で売りにきた若い女性が、純粋で美しく見え、その姿に惹かれ、応対しているうちに<因縁トーク>にはまってしまいました。「長男が9歳で死ぬ」と言われ、一本の印鑑を作ってしまいました。
この時経験した神の存在、霊界、因果応報の恐怖等が心の片隅に残っていて、2年後、自ら統一協会へ飛び込んでゆきました。 恐ろしい宗教と知らずに行ったのですが、わずか2週間程の学びで私の心は喜びに満たされ、毎日が生き生きとしていました。心が開放され、「これこそ私の求めていた宗教だ」と確信したのです。マインドコントロールにかかってしまいました。家族の救いと先祖と子孫の救いを信じて、多宝塔をはじめ、勧められるままに様々な商品を購入し、また姉に伝道して、その姉家族全員が信じてしまいました。姉たちは、今も統一協会の中にいます。 やがて主人にばれて大きな家庭騒動になり、全てを取り上げられました。しかし統一協会を信じる思いは深くなっていきました。それと同時に、主人との心の溝は大きくなり、恨みや憎しみで満ち、ぎくしゃくした関係が10年も続きました。
このような悪い関係にありながら一緒に生活できたのは、3人の子供と『チュチュアンナ』があったからです。主人には大きなビジョンがあり、それを実現するためにはどんな努力も惜しまない粘り強さがあります。まじめで研究熱心、そして諦めない性格なので、会社は成長しました。私も一生懸命働きました。二人は仕事が好きで、喜びをもって働くところに一致がありました。『チュチュアンナ』は二人にとって我が子のように愛する存在であり、家庭の苦しみを一時的に忘れさせてくれるものでありました。仕事の上では二人は良き戦友であり、良きパートナーであったと思います。この10年の間に3の子供も統一協会に入信し、それが救出を困難にしました。
3. 1回目の保護と3年半の逃亡生活
桜田淳子、山崎浩子、徳田敦子を広告塔に、3万双の祝福式のあった1992年、山崎浩子脱会騒動で統一協会が、1年間テレビで報道され続けたことを覚えていらっしゃいますか? 全国に<カルト宗教>と悪名をさらした1993年の夏に、長女と私は別々のマンションに保護されました。1回目の保護です。しかし、2週間後にベランダから樋(とゆ)をつたって逃げました。1階に下りて、はじめて自分が4階にいたとわかりました。絶対に逃げられないように、窓も玄関も二重三重にロックされていたはずなのに、不思議な出来事でした。逃げる瞬間を今振り返っても、映画の1シーンを見ているように胸の鼓動が甦ってきます。命をかけて逃亡したのです。
家族にとってマイナスと思われた私の逃亡は、プラスに働きました。主人の証にありましたように、私たちが長女のマンションに行ったことがきっかけとなり、長女が間違いに気づき、イエスを信じる信仰が与えられました。長女は、次女と長男の救出に大きな協力者となったばかりでなく、私のいない間、母親代わりで家族を支えてくれました。
他方、統一協会に逃げ帰った私は、英雄扱いでした。しかし、3人の子供を奪われたと知った時、妻であり母親であることがどうでもよくなっていました。家族を恨み、牧師を憎み、統一協会以外の者や団体を敵視していました。私の心は完全にサタンのものでした。サタンに支配された心に平安はなく、愛する心も、赦す心も失っていきました。
人間関係にも破れ、究極の孤独に陥り、『もう限界』と思った時に、主人からのあたたかい手紙を受け取りました。堅くて石のような心が溶けていくように、主人への恨みも消えてゆき、家に帰ろうと決心しました。統一協会側を説得して、3年半ぶりに懐かしい我が家に帰ったのですが、・・・・・待っていたのは2回目の保護でした。
4. 2回目の保護と43日間の断食
懐かしさを味わう間もなく再び保護され、6ヶ月間に及ぶ壮絶な戦いが始まりました。心を閉ざした私は、断食の手段で抵抗する気構えを示し、43日間水だけを飲み、食物を絶ちました。比較する問題ではありませんが、イエス様の40日を越えました。「たとえ死ぬことになっても、霊界まで統一協会の信仰を持って行くんだ」と思って始めたので、苦しくはありませんでした。しかし肉体はやせ衰えて醜くなり、骨と皮になりました。
断食に訴えても、統一協会の間違いの学びは続けられました。牧師や元信者が来て、統一協会側の膨大な資料を基に、時には優しく、時には教祖文鮮明を憎憎しく扱い、私の心を揺さぶり続けました。「原理講論は間違っているかもしれないけれど、文鮮明はメシアだからいいんだ・・・」という思考回路をなかなか崩せませんでした。
開き直った私は、「聖書は何を教えているのか」と牧師に詰め寄り、聖書の学びが加えられました。聖書を学んだお陰で、イエス様の十字架が理解でき、43日目に断食を止めることができたのです。神様の哀れみとしか考えられません。断食はやめても、マインドコントロールから開放されぬままに数ヶ月が過ぎました。家族にとっても、私自身にとっても、本当に苦しい時でした。間違いの勉強、復習が何度も繰り返されましたが、間違いが分からず、私は精神不安定に陥り、突然怒ったり暴れたりしました。牧師が時にかなってキリスト者のお話をされるようになり、心が少しずつ癒されていき、やがてマインドコントロールから開放される時が来ました。
5. マインドコントロールからの開放
統一協会の大幹部だった副島さんが、統一協会同士の暴力殺傷事件に巻き込まれ、九死に一生を得ました。彼は勇気をもって統一協会を内部告発し、某月刊誌に掲載された手記が「副島手記」です。彼のことは知っていましたが、手記を読むのは初めてでした。「事実は小説より奇なり」、殺されるかもしれない恐怖にありながら、真実を語らずにはいられなかった副島さんの手記を信じました。そして美化された文鮮明の正体が明らかになり、「文鮮明はメシアではない」とはっきりわかったのです。マインドコントロールから開放された瞬間でした。視点が180度変わり、ショックと悔しさが交錯し放心状態になりましたが、聖書がそれを救ってくれました。
6. イエスをメシアと信じる
マインドコントロールから解放されて12日後、『ジーザス』のビデオを観ました。これはルカによる福音書を忠実に再現し、イエスの生涯を映画化したものです。このビデオが、私をショックから立ち直らせてくれました。私は、ビデオを食い入るように観ました。ビデオを観ながら、イエス様を心に迎え、「イエスこそメシアである」と確信し、その日からイエス・キリストの御名を通して祈るようになりました。みことばが心に染み入り、癒されていきました。信仰告白も心の内でしました。最も心を打ったみことばは、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)でした。いつもイエス様は私と一緒にいてくれていた、一人ぼっちではないと思うと、こみ上げてくる涙を抑えることができずに泣き続け、味わったことのない平安に満たされました。
7. 家族に感謝
マインドコントロールされていたとはいえ、私の言動は聞くに堪えられないものでした。罵声、悪口、人格をも平気で傷つけていましたが、家族は何事もなかったかのように反発もせず、穏やかに接してくれましたし、保護したことを謝ってもくれました。主人は、「会社もどうなってもいい」とまで言ってくれました。「何年かかってもいいから、一緒に勉強しよう」と。子供たちも、それぞれ犠牲と痛みを耐えてくれました。家族の愛と忍耐と寛容に支えられて、統一協会から抜けることができたのです。一人でも諦めていたら、家庭が崩壊していたでしょう。
8. 神の祝福
その後、私は長男と一緒に洗礼の恵みに預かり、クリスチャンホームとなりました。会社も祝されて、急成長しています。今年から来年にかけて、子供たちが次々に結婚します。一人も寂しい思いをすることなく幸せを掴むことができ、神様の公平な愛に感謝しています。また、毎朝、夫婦でデボーシヨンをすることが日課となっています。祈りの中でお互いの思いがわかり、効果をあげています。クリスチャンになっても思い煩いはありますが、勝利されたイエス様がいてくださるので平安です。
洗礼を受けて5年半になりますが、日を追うごとに「主が共におられた」と実感しています。無駄なことは一つもありませんでした。「艱難も喜びなさい」と聖書にあります。忍耐と品性と希望が生まれます。人を裁くのは、主の領域です。口に出して人を汚すことがないように、心がけています。神の時は必ずあります。祈り続けることにより、みことばが与えられ、道が開かれます。人にはいろいろな思いがありますが、みこころだけが成ります。神の計画の中にあって導かれ、神の奇跡によって私たち家族が救われました。
『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる』
(詩篇37:5)
これからも主に信頼して歩んで行きます。ありがとうございました。
以上