私の天の父は大金持ち

坂本 旭 (Akira Sakamoto)

■氏はミクニキカイ株式会社代表取締役。本稿はアイルモレ・コタにおけるインタ-ナショナルVIPクラブ<大阪>2000年8月1日(火)の集会での証しです。

1.ミクニキカイ株式会社の概要

1ヶ月前の(2000年)7月1日に、私達の会社は、創立38周年記念会を行いました。その時の話を初めに少し申し上げたく思います。それは、会社案内には載っていない、会社の歴史の裏側と証を掻い摘んだものです。

 

38年前の1962年6月、空気銃を造る小さな家内工場を廃業し、入社してくる若人達に夢を与えることのできる企業を目指して、有限会社新三国機械製作所を設立しました。程なく、LPG(液化石油ガス)のポンプの組み立て仕事や気化器(ヴェ-パ-ライザ-)の製造の仕事が与えられ、かなりの高収益に潤いました。また、物を造るだけではなく、営業部門を設け、液化ガスポンプの代理店として販売にも携わるようになりました。

 

一見順調に成長しているかのように見えた事業でしたが、得意先である商社の上司との確執によって、実は数々の試練が見え隠れしておりました。現実とはかけ離れた、事実に反する一方的な契約書に署名を強いられたりも致しました。これに関しては、裁判で争い、最近になってやっと開放されたところです。

 

1975年より、あるプラントメーカーから、純水製造装置(海水の淡水化装置、人工透析用の水の製造装置等)の仕事が与えられました。また、このような装置に使用する米国製の高揚程ポンプの日本総代理店の仕事も与えられました。そして、LPGポンプの販売実績にあやかり、水の高揚程(高圧)領域市場を完全に手中に納めました。しかし、メーカーが謙虚になって市場ニーズを読み取ることを怠ったため、中揚程(中圧)領域ポンプに移行する時代の流れに乗り遅れ、現在は、市場のほとんどを中圧領域のポンプメーカーに明け渡してしまっている状況です。

 

また、LPGポンプも、一時は完全に日本市場を独占しておりましたが、商社の販売政策の失敗が原因で、他メーカーのポンプに市場を明け渡すことを余儀なくされ、現在は苦戦を強いられています。加えて、かつては得意先であり、協力会社であった商社とも、販売政策上の意見の相違から袂を分かち、今はコンペチター(競争相手)の間柄になってしまいました。

 

このような状況下で、1989年より始めた、水の純度を測定するレーザーを使った微粒子カウンター(MILPA)の研究開発が、ようやく陽の目を見るようになりました。現在、市場を米国に求めると共に、より一層完全なものにするための創意工夫が凝らされています。

 

1986年には、商号を株式会社新三国機械に改称し、1995年には、天の御国をイメージして、片仮名のミクニキカイ株式会社に改称致しました。

2.会社の癒しの約束

以上のように、会社の創立38周年記念会において、会社の歴史を簡単に振り返った後、私は続けて次のような話を致しました。現在、ミクニキカイは会社設立以来38年になりますが、それ以来、少しの小康の時期を除き、憂いを囲っていた時期が多かったように思います。

 

会社創立記念会の2週間程前、ミクニチャペル・チャプレンの李信子(イ・シンジャ)先生から電話があり、「聖書のヨハネ伝5章1~18節を読み、静かに黙想しなさい」と言われました。ここには、38年間病んでいた人の話が出てまいります。ミクニキカイも創業以来38年間苦しんでおり、癒されないのは他人のせいだと言いながら、癒されることを38年間待ち続けているこの人の姿に何となく似ています。

 

ミクニキカイも、良くなりたいために38年間がんばって来たのですが、現実は深刻です。38年前は、「チャンスがあれば、飛び込んでやろう!」という夢と希望がまだありました。しかし、今は年をとり、体力も無くなってその気力もなくなり、愚痴ることしかできない哀れな存在になり下っているかのようにも見えます。しかし、この38年間病んでいた男は、イエス・キリストに出会いました。そして、神の子であるイエスのことばを受けるや否や、直ちに癒され、床を取り上げて歩き出したのです。

 

私が用意していた原稿をここまで読んで来た時、私は、原稿の中の「イエスのことばを受けるや否や」の文章の次に、「平成12年7月1日(土曜日)」という文字が、パソコンの操作ミスによるのかどうかわかりませんが、私の意思とは全く無関係に、原稿の中に挿入されていることに気がつきました。つまり、この部分を続けて読みますと、「そして、神の子であるイエスのことばを受けるや否や、平成12年7月1日(土曜日)直ちに癒され、床を取り上げて歩き出したのです」となるのです。私は驚きと同時に、その瞬間、神様が、この38年間病んでいた男の人と同様に、ミクニキカイも必ず癒してくださると確信したのです。そして、次のように言葉を続けることができました。

 

神のことばは、全宇宙と生きとし生けるものを6日間で造りました。それ程に力があるのです。この神が、今、ミクニキカイにも、「癒されたいのならば、私の名によって立ちなさい」と言われています。また、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」とも言われています。絶対なる神のことばを信じましょう。他の一切の手続は要りません。ミクニキカイは、この神のことばによって、すでに癒されたと信じましょう。今、すばらしく醗酵力の強い、新しいぶどう酒ができ上ろうとしています。このぶどう酒は、新しい皮袋にしか納まりません。2年後の40周年には、すべての新しいぶどう酒が新しい皮袋に入れられていることでしょう。年老いた功労者も、頑強な若人も、共に感謝と喜びを分かち合っていることでしょう。感謝します。

 

以上で私の話は終わり、チャプレンの李信子師の力強いメッセージの後、パ-ティ-に入りました。すると、どうでしょう。今の今まで、ミクニキカイは年寄りばかりと思い込んでいましたが、目を上げて見渡すと、一部の功労者を除き、周囲は、目の輝いた溌剌とした若人で満ちている光景が目に飛び込んでまいりました。ちょうど目のうろこがとれたように、神さまは、わが社を造り変え、新しくしてくださっていることに改めて気づかされ、驚きと喜びに満たされたのです。

3.仕事を与えたまう神

先に述べましたように、若人に希望を与える職場をめざし、1962年に会社を法人化し、「これからは貿易会社との付き合いが必要である」との思いが与えられ、それを願っておりますと、貿易会社との取引が始まり、LPGのポンプや燃焼装置の付属設備の仕事が与えられました。その仕事は、今日も続いています。また、その10年後には、逆浸透膜を使った純水装置の製造の仕事や、これに使用するポンプの代理店の仕事が与えられました。また、その15年後には、研究所が与えられ、ミルパ(MILPA)と名づけられた、レーザーによる水の微粒子カウンターがそこから生まれました。現在は、日本の水道局や、膜を使って濾過を行っているほとんどの浄水場で、濁度計として用いられています。これらは、私達の知恵が生み出したものではなく、すべて神さまによって、その時その時の必要に応じて与えられたものです。

4.祈りに応えられる神

皆様の中で、学校の授業を全く受けずに、中間テストや期末テストに臨んだことのある方がおられますか? 試験が近づいてくる時の苦しみは、耐えがたいものです。卒業して40年近くも経っているのに、私は時々この夢を見ます。不安と焦燥と絶望の中で、びっしょり汗をかいており、目を覚ましてからも、現実に戻るのにしばらく時間がかかる始末です。

 

私の会社は、神崎川の川辺にあります。解決できそうにもない困った問題や不安な出来事が生じた時、私は、若い時からよくその土手に行って祈りました。「神さま、昨年は1年間で5単位しか取れませんでした。したがって、今年はどうしても2年分の単位を取らなければなりませんが、自分の力ではとても無理であることは昨年で証明済みです。しかし、今年40単位以上取っておかなければ、卒業が危うくなります。私が無事に卒業できなければ、『やっぱり、仕事と学業の二足の草鞋は無理だった』と皆に笑われてしまいます」。

 

このような自己中心な祈りでしたが、私は、こんな祈りを明けても暮れても続けておりました。勉強の仕方は、昨年と全く変わりありませんでした。しかし、あわれみ深い神様は、こんな私の祈りにも答えてくださり、残された1年間のために5単位だけを残し、受験した全科目について合格させてくださいました。拙ない祈りでしたが、この時のイエス・キリストの御名による祈りは聴かれるものであるという確信が、その後の私の人生にとって、どれほど大きな助けになったか計り知れません。

 

その後、何度も何度も襲ってくる仕事上の不安も、この時の体験を思い出しては、祈る度に解決への道が備えられました。一度たりとも、神さまが留守であったり、忘れたりなさることはありませんでした。この祈りの確信は、主が40年間もイスラエル民族を荒野で支え導いてくださったという歴史的事実を、私の人生にダブらせて考えられるようになった体験と合わせて、私の信仰の土台となっております。

 

このような祈りの力は、会社経営にも必要だと考え、1993年5月より、毎朝会社で有志7~8名による祈祷会を持つようになりました。また、1997年より、明石大橋の見える塩屋の研修所で、月一回、福岡や東京のクリスチャンも集って、祈りと交わりの時を持つようになりました。さらに今年(2000年)の5月からは、毎日曜日朝10時半より、聖日礼拝が会社の大会議室で始まるようになり(ミクニチャペル)、7月15日には、第1号の洗礼式が執り行われました

5.会社経営の危機の中で

ちょうど4年前、どうしようもない事業の行き詰まりが生じて、臨時役員会を開催したことがありました。長い間、毎月2000万円の赤字が隠されていて、それを借入金で賄っていたのですが、これ以上の借入れが不可能な状態となり、初めて真相が明るみに出たのです。役員の退職金や有価証券の類も全部取り崩して、資金繰りに充てておりましたが、底が尽き、根本的な対策を迫られました。「この会社を買い取ってくれるところを探す以外に方法はない。これまでの経験や知恵、人の努力ではどうすることもできない事態に会社は陥っており、奇跡が起きない限り自力回復は絶対にない」と結論を出して、役員会を終わりました。

 

そのような事態とは対照的に、なぜか心に平安がありました。何か他に手があるように思えて仕方がないのです。すぐに教会の祈祷会へ行こうと決心し、車で出かけたその途中、次のような考えが湧いてきました。「私の家族や親戚にはお金持ちはいないから、この難儀を救うことはできない。友人に金持ちはいるが、助けてくれはしないだろう。このような時、金持ちの父親がいてくれたら・・・。私の親父は貧乏で、気の小さい人だったから、このようなことを知ったら、気が狂うだろうな・・・。しかし、待てよ! もう一人私には父がいた。この父は大金持ちで、全世界の経済を支配しておられる。そうだ! この天の父にお願いしよう」。そして、「この方にミクニキカイを買っていただこう」と思った途端に、喜びが満ち溢れてきました。かつて経験したことのないような平安と喜びに包まれました。

 

しかし、不信仰な私は、その後何度も目の前にある現実に翻弄されそうになりました。多くの主力メンバーが、会社を去って行ったこともありました。「神さまでもこの問題は複雑すぎて、解決できないのではなかろうか」という不信仰と不安が、しばしば私の心を襲いました。

 

会社が大ピンチに陥る1年前の新年講演会に、ハ-ベストタイムの中川健一師をお迎えし、お話を伺う機会がありました。その時、中川師は、「ミクニキカイは、今、奴隷の地から脱出して荒野にいます。しかし、やがてミクニキカイは、神さまによる荒野での訓練を終え、乳と蜜の流れるカナンの地に導き入れられます」と力強くメッセ-ジしてくださいました。多くの社員は、「訳のわからないことを言う先生だ」と思ったようです。しかし、その後の経営の危機の中で、この預言の言葉が随分と慰めになり、また信仰の確信となり、私をどれほど支えてくれたことかわかりません。

6.私の父は大金持ち

崖っ淵に立たされて、家内と祈っている時、私の口から自然と悔い改めの言葉が出て来ました。その時、家内は、「嵐の闇の中から、船の舳先が光の中に僅かに顔を覗かせている」、そして、私の口から悔い改めの祈りが出る度に、「船は、嵐の闇から光の中に少しずつ移動している」、最後に、「船が完全に光の中に出た。その瞬間、甲板から水が祈りに伴われて、噴水のように渦巻きつつ勢いよく立ち上り、天の御座に届いた」と、次々に幻の中で見た様子を話してくれました。このようなことを聞かされても、私は、会社の現実を見ると、状況は決して好転しているようには見えず、不安が依然として覆っていました。

 

家内は、「もし、この幻が神さまから来ているものであれば、確証をください」と祈っていたそうです。ある朝、未だ暗い時刻、二人で祈っていると、突然家内が突拍子もない声をあげ、窓の外を指さします。その方向に目をやると、何とそこに美しい虹がかかっているではありませんか! ミクニキカイの社屋に、完全な半円の虹が鮮やかにかかっていたのです。今度は、私の肉眼にもはっきりと見えました。かつて、このような時刻に、しかも、このような完全な半円の形をした虹を見たことは一度もありません。

 

神さまは、疑い深い私に、虹をもって、「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる」(創世記9:13)と、主がノアに仰せられたみことばの約束の確かさを思い起こさせてくださり、私たちを信仰の確信へと導いてくださいました。

 

その後、ご承知のように、わが国では、金融界をはじめ、かつては想像もできなかったような大会社でさえも揺さぶられ続けております。そのような時代の中でも、神さまは、イエス・キリストの御名に望みを置く者を、決して見捨てずに養い続けてくださっています。そして、いつも逃れの道を備え、恵みとあわれみを持って、良き物で満たしていてくださいます。私たちは、ただそれを感謝して受け取るだけです。霊の目が開かれてまいりますと、恵みが周囲に満ち溢れていることに気づかされます。

 

讃美歌558番(イザヤ書35章の讃詠)

 

荒野に水は湧きて、砂漠に河も流れん。焼けたる砂地は池となりて、潤いなき地は水の源と変わらん。野犬の伏したる住処(すみか)すらも、芦葦の茂り合う所となるらん。かしこに大路ありて、その道は聖き道と呼ばれん。汚れたる者はここを過ぐるに耐えず、これを歩む者は、愚かなりとも迷うことあらじ。かしこに獅子もおらず、荒き獣もその道に、上ることあらじ。そこにて災いに遭うことあらず、ただ贖われたる者のみ、そこを歩まん。主に贖い救われし者は、歌うたいつつ、シオンに帰り来たらん。・・・・。

 

祈りが深くなると、この讃美歌が口をついて出てきます。預言者イザヤに幻をもって語られた主が、今も生きてはたらかれていることを実感します。世の中がどのように変わろうとも、主に信頼する者はこのみことばの通りになります。

 

私の父は大金持ちです。そして、この父は、皆様方の父でもあります。皆様も、この大金持ちの父なる神さまに、イエス様の名によって願ってみてください。きっと、すばらしい祝福を受けられることでしょう。