茶の湯の道は聖書に続く (千利休はクリスチャンだった?)

大和 昌平 (京都聖書教会牧師・東京基督教大学非常勤講師)

インターナショナルVIPクラブ<大阪>

1.  序

1.  本日は、皆様の前でお話をさせていただけますことを感謝しております。

 

私は今日「茶の湯の道は聖書に続く?千利休はクリスチャンだった!??」というタイトルでお話させていただきますが、千利休は堺の豪商でありますし、今日の三千家は現在私の住んでおります所から車で5分くらいのところにあります。昨日も京都から淀屋橋を通り、私の属しております団体の本部があります堺市で一日会議に出ておりました。

 

現代の大阪商人であられる皆様の前で、京都から参りまして茶の湯と聖書のお話をさせていただけることを大変光栄に思っております。

 

2. 最初に、今日のお話の大筋をお伝えします。

 

まず、簡単に私の自己紹介として、どうして私が茶の湯と聖書というテーマに出会ったかをお話します。そして、日本で茶の湯と聖書が堺において最初に出会った16世紀のことを紹介します。これはフロイスの『日本史』など当時の宣教師たちが詳細に記録を残しておりまして、非常に興味深いものがあります。そこで、千利休はキリシタンであったか、という問題にも触れたいと思います。その上で、茶の湯と聖書の関わりについて私個人の意見を述べて終わりたいと思っております。

2.  自己紹介

1. 私は1955年(昭和30年)、高度経済成長の始まりされる年に、大阪の玉造で生まれました。私にとっての故郷は、家と町工場が同居するこのアスファルトの街です。今も環状線の駅を降りて、街を歩くと不思議な落ち着きを感じます。

 

10代初めに岸和田市に転居しまして、そこでキリスト教に出会いました。牧師になろうとの志を与えられ、学校を終えて大阪で2年働いた後に、当時国立市にありました東京基督神学校で学び、牧師として京都聖書教会に赴任しました。

 

祖母が熱心な門徒であったことから、仏教への関心はずっと持っておりました。そのため仏教の講義もある神学校に学びましたが、卒業後、京都に赴任するということと、恩師から仏教の大学で学ばないかと勧められたことから、牧師になると同時に隣町にある仏教大学と大学院で仏教学を学びました。30代のことで、牧師の働きの傍ら仏教大学に通いました。

 

その後、母校の東京キリスト教学園と申しまして、大学と神学校と研究所がありますが、そこで「東洋思想」や「世界の宗教」などの講義を、やはり牧師の働きの傍らさせていただいております。

 

2. その研究所で日本の文化ツアーを行っていまして、京都や鎌倉の禅寺を訪ねたり、伊勢神宮を訪ねたりして、キリスト教と日本文化について現場で考えることをしております。その日本の文化ツアーの一環として裏千家の今日庵を訪ね、武者小路千家の官休庵を訪ねたわけです。

 

それに際して、京都市国際交流会館の外国人に茶の湯を教えるコースに入りまして、半年間の入門的な手ほどきを受けました。セミナーの準備のためだったのですが、そこで日本文化の型の美しさにはまりました。その後は、京都の修学院に関西セミナーハウスといって、キリスト教の文化活動を行う施設ですが、ここには茶室と能舞台があります。裏千家がバックアップしていますが、この茶室で少しづつ稽古も続けております。

 

牧師として働いております教会でも月に一回、お茶の稽古もするようになりました。長く茶の湯に親しんでこられた、西陣で会社を営む教会のメンバーの方を先生としまして、ごく簡素な茶会を楽しんでいます。私は一生続けていける趣味が見つかった思いです。それは、茶の湯の道が聖書に続いていると考えるからでもありますし、日本人として茶の湯に込められた一つ一つのものが本当に慕わしいと感じているからであります。まだまだ門外漢のような存在ですが、キリスト者の茶の湯の可能性を探っていきたいと願っている次第です。

3.  堺における茶の湯と聖書の出会い

さて、16世紀の堺という町は、西の博多と並ぶ貿易港であり、京都・奈良といった大消費都市を控えた港町として活気を呈しておりました。ルイス・フロイスは堺が日本のベニスであるといっております。天王寺屋などの豪商たちは、自由闊達で利害打算に明るく、大名たちの策謀と渡り合う老獪な政治力も身につけておりました。

 

一つの自治都市としての平和と繁栄を謳歌するこの町に文化人たちも避難しており、様々な文化も流入しておりました。そして、高尚で文化的遊びとして堺の商人の間で流行していましたのが茶の湯でありました。武士ではない引け目を持つ彼らにとって、貴族的で異国趣味も満喫できる茶の湯の世界は非常に魅力的でした。今日のビジネスマンはそうではないでしょうが、茶の湯は当時の商人たちの社交上の必須のたしなみでもありました。豪商たちにとっては、高価な道具を集めることも一つの楽しみであったでしょう。

 

やがて、茶の湯は信長、秀吉という天下人も熱中するところとなり、堺の商人であり、茶人の千利休が国家権力の中枢部に入り込むことにもなるわけです。

4.  千利休キリシタン説

ここで、「千利休キリシタン説」について検討しておきたいと思います。

 

「利休キリシタン説」は、大正時代に山本秀煌の『西教史談』、長富雅二らの『ザベリヨと山口』において最初に唱えられているようです。最近では山田無庵の『キリシタン千利休』(河出書房、1995年)があります。

 

山田は、狩野内膳の南蛮屏風中のキリシタンらしき老人が利休であるという類推から立論していまして、文書的な資料の裏付けをもっておりません。

 

概して歴史家は千利休キリシタン説に懐疑的であります。利休はあくまで禅宗の徒であって、大徳寺に参禅し、熱心な帰依者であったこと。そして、当時のキリシタンの教育において重用されました十戒に関わるのですが、彼が自刃していることを重く取り上げるのです。自殺は十戒の第六戒「人を殺してはならない」に反し、ローマ・カトリックの固く禁ずるところであったと言われます。さらに第七戒「汝姦淫してはならない」の戒めがあります。利休には複数の妻があり、キリシタンの重視した不邪淫戒を遵守しがたい家庭事情があったと目されるからであると言うのです。

 

これは主に、『キリシタンと茶道』(1948年、全国書房)を著した西村貞の論であります。

 

一方西村は、弟子の古田織部はキリシタンであったと明言するのです。その理由も、この結婚の問題に求めています。古田織部が高山右近の妹を娶って義兄にあたるという点です。キリシタンの倫理からすれば、同信の間柄でなければ姻戚関係を結ぶことはできないというのです。「右近と織部妹との婚姻は、両家とも奉教者の家柄たることを示すもので、切支丹と認めて豪も不当ではないからである。」(西村貞『キリシタンと茶道』209頁)

 

結婚の神聖、家庭の大切さ、それはキリシタンの時代以来、聖書が日本に語り続ける強烈なメッセージであると思います。今日のビジネスマンに対しても、これは強烈なメッセージではないでしょうか。いわゆる禁欲思想を説いているのではないのです。結婚の聖さ、家庭の主として男の持つ責任の重さを語っているのです。

 

「利休キリシタン説」に関しては、新しい決定的な資料でも出ない限り、西村貞など歴史家の抑えた論に私も従いたいと思います。

5.  堺での茶会とミサ

では、「利休キリシタン説」はそこまでにしまして、本題の堺での茶の湯とキリスト教の出会いの話に戻りたいと思います。

 

ルイス・フロイスの『日本史』に、茶の湯と西洋人が(それは宣教師でありましたが)初めて出会った感想が書き残されています。時は1565年2月、堺の商人日比屋了珪の屋敷にはルイス・アルメイダという碧眼の修道士が逗留しておりました。日比屋了珪はこの4年前に一家でキリスト教の洗礼を受けており、この家は堺のキリシタンの中心となっていました。都をめざしていたアルメイダ修道士はひどい風邪のため、日比屋の家で一ケ月療養し、いよいよ出発という時、茶会がもたれたのです。

 

アルメイダ修道士はこのように書き残しています。「これが行われる場所は、この儀式のためにのみ入る特定の室で、その清潔さ、造作、秩序整然としていることを見ては驚嘆に価します…

 

私たちがきわめて清潔な敷物である優美な畳の上に坐りますと、食事が運ばれ始めました。日本は美味の物産が乏しい国ですから、私は差し出された食物を賞讃しませんが、その席での給仕、秩序、清潔、什器は絶賛に価します。そして私は日本で行われる以上に清潔で秩序整然とした宴席を開くことはあり得ないと信じて疑いません。と申しますのは、大勢の人が食事をしていても、奉仕している人々からはただの一言さえ漏れ聞こえないのであって、万事がいとも整然と行われるのは驚くべきであります。

 

食事が終ってから、私たち一同は跪いて我らの主なるデウスに感謝いたしました。こうすることは、日本のキリシタンたちの良い習慣だからです。ついでディオゴは手ずから私たちに茶を供しました。それは既述のように、草の粉末で、一つの陶器の中で熱湯に入れたものです。」(ルイス・フロイス『完訳フロイス日本史1』中央公論社、2000年 255頁以下)

 

西洋人が初めて茶会に招かれた時に感動が、このアルメイダの手紙から伝わってきます。キリシタン日比屋了珪の茶会は、いわゆる懐石料理・感謝の祈り・亭主による手前の順に進んでいまして、キリシタンたちが中立ちの時に祈祷会をもっていたことがわかります。これは清潔で整然とした儀式のような茶の湯に、キリスト教の宣教師が驚きをもって出会ったということです。

 

これの逆もあったわけで、堺においてバテレンつまり宣教師が畳の上でミサの儀式を行う。その様は南蛮屏風にも書き残されていますが、そのミサに強い影響を受けたのが千利休でありました。

 

宣教師は茶の湯に、また千利休は宣教師の行うミサの儀式に互いに衝撃を受けあったのです。a

6.  武者小路家元千宗守氏の説

この春、共立基督教研究所主催で武者小路千家においてセミナーを開かせていただきました。その折、こちらのアイルモレ・コタ及び花外楼の若女将徳光正子さんも参加してくださったのですが、武者小路家の方々とは顔なじみのようでありました。

 

そのセミナーにおいて、千宗守家元が語られたのは、茶の湯の中心であります濃茶席における飲み回しというものは、利休が堺においてキリシタンバテレンの行うミサの儀式を取り入れたものであるということでした。家元はバチカンにも招かれて、現在の法王にその説を述べられたとのことです。

 

お膳や箸を別にするほど清潔好みの日本人が、一椀の茶を飲み回すというのは不自然です。あの時代にすっと茶の湯の中心に入って、今日まで続いている。私の祖先はなかなかよくやったものだと思う、と述べられました。

 

これは大変興味深いお話であると思います。三千家の中でこの方が一番はっきりと語っておられるのですが、私ども外部の人間がとやかく言うのではなくて、家元自身が茶の湯の中心にキリスト教の影響がありますと明言しておられるからです。それは堺の商人であった千利休の進取の気性を示すものでもあったのではないでしょうか。

 

家元は京都のカトリック男子高校であります洛星中学・高校の御出身で、ミサの儀式をずっと見てこられて、そう確信され、そうとしか言えないのではないかと語られました。また、ミッションスクールでの教育を通られて、古いものを守っている人々にまま見られるキリスト教を毛嫌いする思いもないのだということでした。

7.  ミサ及び聖餐式

1. ところで、そのミサですが、最後の晩餐を起源として発展してきたもので、「聖餐式」とプロテスタントでは申します。

 

カトリック教会とプロテスタント教会の考え方の違いは、教会にかかっている十字架にキリストのからだが付いているか、いないか、であります。付いているのはカトリック教会です。ミサのたびに、キリストのからだをいけにえとして繰り返し神に捧げる儀式を行うのです。付いていないのがプロテスタント教会です。キリストがご自分のからだをいけにえとして神に捧げられたのはただ一度のことであり、そこで完成されたと考えます。ですから、聖餐式はキリストの業を記念し、感謝する儀式として守られています。このアイルモレ・コタの部屋の壁にかかっている十字架にはキリストのからだは付いていませんから、ここはプロテスタントだとわかるわけです。

 

そのような違いはあるのですが、聖餐式またはミサにキリスト教というものが無言の型として結晶しているように思います。それは、主人であるキリストがご自分のいのちを与え、信者はそれをただ感謝していただくという儀式です。それは、神の究極のもてなしに信者たちが与るということではないかと私は思うのです。

 

また、一同がひとつとなって、ただ神よりいただくこの儀式において、自ずから一座が建立いたします。茶の湯で大切にします「一座建立」であります。主人による客人への究極のもてなしであること、そこに一座が建立すること、ここに聖餐式と茶の湯は響きあうものを持っていると私は考えております。

 

2.  私は仏教大学でインド仏教の研究の手ほどきを受けたのですが、茶の湯は一般に仏教の禅を背景としていると言われます。もちろん、そうなのです。しかし、禅の立場とは「己事究明である」と西谷啓治という京都学派の学者が一言で言い切っております。自己の内側を探り求めていけば、そこで究極のものに出会うことができる。これはインドの哲学にも共通する基本的な哲学的立場であります。

 

その「己事究明」には瞑想修行が必須だとされるわけですが、それはあくまでも一人取り組むものであります。どこまでも一人で自らの内を追求するところに、仏教の立場があると私は思うのです。それに対して、キリスト教は神の究極のもてなしに人が与る交流、これが根底にあります。そのことを無言の型に結晶させたのが、ミサであり、聖餐式であります。

 

千利休は畳の上で行われたミサにことのほか影響を受け、自らの茶の湯の中心にその所作を取り入れたわけです。キリスト教の側から見ても、茶の湯は禅よりもキリスト教の方が近いといいますか、親和性があると私は思うのです。神と人との交わりを中心とするキリスト教は茶の湯になじむものを持っています。茶の湯の道は聖書に通じていると私が確信する理由の第一は、そのことであります。

8.  市中の山居と荒野への退去

もう一点、茶の湯が聖書に通じていると思うのは、茶の湯における「市中の山居」と聖書における「荒野への退去」という思想です。『日葡辞書』では、「シチュウノサンキョ」を、「修道者や隠遁者であるままで、街辻の中なり、市なり、衆人の中なりにおいて、遁世者となっていること」と説明しています。権謀術数の渦巻く市中において、遁世者のようにわび住いをして、宗教的な静寂を求めるということでしょう。

 

旧約聖書が書かれたヘブル語で「語る」はダバルという動詞で、「荒野」はミドバルという名詞です。都会にある安楽さや華やかさと無縁の荒野で神のことばは聞かれるべきなのです。モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、荒野の苦しい生活を通されるのですが、そこでこそ神のことばを聞くことが求められました。

 

キリストが公の活動を始める前に荒野で悪魔の誘惑を受けられたことが記されています。「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコの福音書1章35節)。ここでいう「寂しい所」とは「荒野」を意味する同じギリシア語の原語が使われています。キリストは大きな働きが始まる前に荒野に出られたし、働きの最中にもしばしば静寂の荒野へ出て祈ることをしておられたのです。

 

荒野に出て神のことばを聞く霊的修養を、キリスト教会も「静思の時」と呼んで取り組んでいます。キリスト教の歴史の中では、修道院運動において特に重視されてきた伝統があります。この荒野に神のことばを聞くキリスト教の精神と、「市中の山居」を求める茶の湯の精神は近いものがあるのではないか、と私は感じています。皆さんにとりましても心身ともに疲弊する毎日の中で、このような集まりが「市中の山居」となればよいのではないかと思います。こういうところで神のことばを聞く、それは「荒野の時」を皆さんの激しい生活の中で持たれるということでありましょう。ビジネスマンとしての皆さんの生活の中で、「市中の山居」、「荒野の時」を大切にしていただきたいと願っております。

9.  まとめ

以上、第一に、キリスト教の中心が神の究極のもてなしに人が与ることにある点で、亭主が客に徹底して仕える茶の湯の道は聖書に通じていると思います。第二に、激動の都市の雑踏に「市中の山居」を求めた茶の湯の道は、激務の中の「荒野の時」を必須と考える聖書にやはり通じていると思うわけなのです。にもかかわらず、キリシタン時代以後、両者の響きあいは十分に展開されないまま今日に至っていることを遺憾にも思います。

 

今日は16世紀の堺のように、茶の湯はビジネスマンの社交上の必須のたしなみではないでしょう。むしろ、女性方が着物を着てするものと思われています。しかし、かつて茶室は堺の豪商たちが権力政治に挑んだ、むしろ男の世界でありました。武者小路家元は、利休が秀吉から死を賜ることになったのは、権力者の密談を聞きすぎたこと、つまり、ことに朝鮮出兵などに口を差し挟むに至ったことが原因ではないか、とも振り返っておられました。

 

現代のビジネスマンの方々にとって、茶の湯などに関わっている時間も余裕もないというのが現実ではないかと思います。しかし、茶の湯には日本人の伝統的な生活、美意識が見事に様式化されています。畳の部屋に何も置かない美しさ、鉄の釜で湯がわく松風(しょうふう)の音、野の花が土で焼いた陶器にいけられる、墨をもって書かれたアートに近い草書の文字があります。キリスト者の場合、ここに「野の花を見よ」といわれたキリストのことば等を掛けたいものです。

 

無言の内に摺り足で建水を運び、茶碗と棗(なつめ)を運ぶ亭主の静かな姿があります。竹をけずった柄杓や茶杓、袱紗(ふくさ)をさばく衣擦れの音、絵のような生菓子と抹茶の鮮烈な香。欲を言えば、炉をきった和室があり、露地があれば、さらにすばらしいのですが。それらがすべて日本人としての私のからだになじみ、心になじんでくるのです。そこで、愛される感覚というものは、私たち日本人のもつ繊細な美意識ではないかと感じております。

 

今日、キリスト者が茶の湯に親しむことは、高山右近がそうであったように、茶室は祈りの場、荒野に神の声をきく霊的な鍛練の場になるだろうと思います。ルイス・フロイスが『日本史』に書き残した、懐石・感謝の祈り・点前と進められたというキリシタン茶会の伝統を復活させたいものであります。そして、日本では異邦人のようなキリスト者が、日本の伝統文化にじっくりと根をおろしてゆくための、遠いけれどもまっすぐに通じている道のように思うのです。

 

静寂のうちに、お軸にかけられた聖書のことばを、一椀のお茶と共に一座の人が共に味わう。そのような聖書の受け止め方、深め方があっていいのではないでしょうか。そこから、味のあるキリスト教、おもしろいキリスト教の展開も望めるのではないかと期待しているのです。本物はおもしろいものだと私は思います。高価な道具がなくても、教会堂の一室で亭主と客が神の前に心をこめあう、そんなキリスト者の茶の湯の可能性があるのではないでしょうか。まだまだ初心者ですが、私はそんなことを夢見ております。

 

日々激務の中に身をおくビジネスマンの方々が、本当に魂を休め、身体を憩わせる時を持っていただきたいと心から願っております。本日はお話させていただいてありがとうございました。

 

以 上